私の肝臓がん闘病記③            平成27年  三鷹市 鷹野冬樹

「がん間期」よ、いまいくたびか  

 この6月中旬、おそれていた9度目の肝がんを発症し、入院・手術というはめになった。入院前の画像診断では、がんの数は3個かといわれていたが、手術時の動脈造影による精査では5個という診断であった。当然、術式は肝動脈塞栓術(TACE)、すでに何度か世話になっていて、特段の緊張感はない。顔なじみでもあるベテランの「放射線科医」にすべてお任せという心境である。
 術後には、定番と化した7-8度台の断続的につづく高熱に苦しめられたが、それも4、5日後には

ようやくおさまり退院となった。約1週間の「寝たきり生活」でさすがに体力はがた落ちしてはいるが、精神的にはわりに落ち着いた、静かな時間が過ぎていく。
 話題は変わるが、素人ながら私がかじっている歴史学の世界では、第1次大戦の終焉(1918年)から

第2次大戦の勃発(1939年)までの約20年間を「戦間期」と呼び慣わしていて、現代史の重要な研究

テーマとなっている。
 私はこの表現を借用して、ひとつのがんの処置からつぎのがんの発症までの、つかの間の静かな期間を「がん間期」と呼ぶことにしている。いまは貴重な、9度目の「がん間期」である。現代史上の「戦間期」に似て、前のがんは処置されて一応見た目には安定しているが、もうすでに病み衰えた肝臓には、

つぎのがんの発症がすすんでいる。問題は、その「がん間期」が何カ月つづいてくれるのかということである。さらにいえば、つぎに発症するがんが、はたしてきちんとした治療が可能で、次回の「がん間期」を迎えることができるかどうかということである。「もう手術による治療はできません」といわれれば、「間期」自体が成立しなくなる。あとは抗がん剤等によるささやかな延命治療だけとなる。
 9度目の「がん間期」のいま、表面上は平静な時間の流れのなかで、「どうか、無事10度目のがん

間期を迎えられますように」と、祈るような気持ちですごす日々である(「もうがんが発症しませんように」という「虫のよい」のぞみは、とうの昔にあきらめている)。
 今回の入院であらためて確認したことがいまひとつある。それは相変わらず、重症高齢患者が多く、

景気のいい新薬情報の話など、病室ではかけらも耳にすることはできなかったことである。大部屋4人の患者の中で、じつに3人が肝臓がん(発症の回数は全員ちがうが)という状況であった。
 私はけっして「新薬」にケチをつけようなどという根性はもってはいない。けっこうで喜ばしいかぎりである。ただ、その効果の射程内には収まりきれない重症患者がまだまだゴマンといるという現実をわすれないでほしいという思いだけである。つい先日も、病院での検査の際(10回目のがんの予備検査でもある)、古くからの会員である某氏にお会いした。その方は、最近主治医から話題の新薬「ソホスブビルを使ってみましょう」と提案されて、「これでようやくウイルス完治の夢が実現しそうです」と嬉々とした笑顔で語っておられた。「よかったですね」と、お祝いしてわかれてきた。

 明暗、覆い隠しようもないこの断裂! こうして患者間の「格差」は、情け容赦なく開いていく。この現実から目をそらすことなく(中途半端な適当な形容句でごまかすことなく)、この全体状況を統一的に把握し、対処していく現状認識が私たちには求められている。

私の肝臓がん闘病記②            平成27年      三鷹市 鷹野冬樹

                  直視しよう、肝がんの「病期分類」

 今回は幸いなことに「実体験記」を書くような局面には至らなかったために、肝がんの「病期分類」について考えるところを書かせていただくことにする。
 私たち肝炎患者は、通例、血液検査のたびに示される肝機能の数値について、あれが上がった、 これが下がったと、一喜一憂するのが常である。しかし、肝臓の状態が悪化して、肝硬変、さらには 肝がん発症という段階にはいると、あれこれの個別の数値の変動を見るだけでは、肝臓の全体像が 正確には把握できないという事態になってくる。
 肝臓の専門医の世界では、いくつかの分類基準を作成して治療に活用されている。
 まず、「肝がん発症」という段階に入ると、肝がんの「病期分類」が適用される。「病期」は、英語の「ステージ」という用語をそのまま用いて、ローマ数字で、重症度の順に、Ⅰ期、Ⅱ期、Ⅲ期、 Ⅳ期

(さらにリンパ節・他臓器への転移の有無によって、IVAとIVB)に分類される。この分類 では、発症した肝がんの個数、大きさ、臓器内脈管への広がり、そして転移の有無の4種のデータを 総合して順位が

決められていく。
 このステージ分類と併用される分類基準が、「肝障害度分類」あるいは「Child-Pugh(チャイルド・

ピュー)分類」である。この二つは、肝機能のいくつかの枢要な指標を組み合わせて、直近の 肝機能の

実態を把握しようとするものである。
 前者の「肝障害度分類」では、腹水・血清ビリルビン値・血清アルブミン値・ICG R15・プロトロンビン活性(%)の5つを、後者の「Child-Pugh(チャイルド・ピュー)分類」では、前者のICG R15に代わって、肝性脳症の有無(程度)が指標として用いられている。両者とも、重症度に応じて、A・B・Cの3段階の分類がなされる。
 「ステージ分類」の4段階、「障害度分類」の3段階ともに、その区分は一見おおまかに見えるが、

その内実はまことに厳しいものがあり、最重症度に該当すると、通常の手術治療の対象ではなくなり、「緩和ケア」の対象となったりする。素人の軽率な判断は厳に慎むべきだが、気弱な人間には「直視する」ことは実際には容易なことではない。
 ここで大事になってくることは、「スピリチュアル・ケア」、もっと直截に言えば「死生観」の涵養である。私たち人間は、いつかは必ず死すべき生き物である。私たちは不幸にして「ウイルス性肝炎」に冒され、不本意にも重篤化の途をたどってしまった。無念ではあるが、これも一つの「死」の形であると受け止めていくしかない。
 それまでは、簡単に病気になど屈することなく、己の使命と考える作業や思念に日々努めていくことが大事と考えている。

*今回取り上げた「病期分類」等、紙面の制約のために表形式では示せなかったが、ネット上のサイトには幾種かの適切な資料が紹介されている。参考にされたい。例えば、国立がんセンターなど。
*「スピリチュアル・ケア」については、肝友会会報「かんえんの友」113号に掲載された、慶應義塾大学・ 加藤眞三先生の講演録をぜひ参考にしていただきたい。 

私の肝臓がん闘病記①            平成27年      三鷹市 鷹野冬樹

ついに、8度目のがん手術へ 

 今年1月半ば、8度目の肝がん手術で1週間の入院をしてきた。7度目が昨年の8月末だったから、

その間わずか4カ月しかもたなかったことになる。今回、入院前の造影CT検査では、大小とりまぜて4個のがんと言われていたが、実際に手術に入って右鼠径部からの肝動脈カテーテルによる造影剤注入の結果では、5~15mmのがん7個が確認された。4個以上だから、術式は当然「肝動脈塞栓術」で、それも

最新の「ビーズ塞栓術」が選ばれた。ビーズ状につくられた抗がん剤をがん細胞に注入して、じわじわとがんをやっつけようという目論見である。当初4個と言われたときは、手術時間は1~2時間の見込みであったが、7個となるとそうはいかず、2時間半を要した。それも2人の医師が前後を分担して行った。
 がん手術と言えば、外来診療でいつも会う、いわゆる「主治医」がやるのだとお考えかもしれないが、確かに腹部の皮膜から手術針を射して患部に熱を加える「ラジオ波焼灼術」の場合はそうするが、塞栓術ではちがう。大きな密室のような部屋で手術台に寝かされて、これも大きな何枚もの画面に映し出された病んだ肝臓の姿とにらめっこしながら、医師やスタッフが慎重に作業をつづける。がん一個ごとに術前と術後に写真を撮影し、結果を確認しながら進行していく。麻酔というのはとくになく、最初、鼠径部への何本かの注射の前に局部麻酔を打たれるだけである。
 ようやく手術が終わりストレッチャーに乗せられて病室へ戻るが、予定時間がオーバーしたために何事が起きたかと心配しておろおろしている娘の姿が痛々しい。術後、病室に訪れた主治医に「今回7個も

とったのだったら、この後しばらくは出ないのではありませんか」と聞いたら、「いや残念ながらそれは違う。7個もわっと出るような体質になってきていると理解すべきで、次の再発は、従来よりむしろ早まると考えてください」とのこと。この間、年2回のペースで発症してきたのが、さらに早まって年3回になるということか。正直、がっくりくる。しかし、手術ができてその都度一旦は元気になれるというのは、肝硬変の末期像としてはある意味、救いのあることであり、医師やスタッフのご努力を、感謝とともに受け止めていくしかない。
 
 *これから原稿を書くことができる体力が維持されている間、「闘病記」をレポートいたします。 

ウイルスが消えた               平成27年       小金井市 Y.S.

 インターフェロンの治療を8年前にしたのですがウイルスが消えなくて、強ミノの治療を8年間続けましたが、週3回の病院通いはほとほと疲れていたところ、口径2剤の治療が今年の9月に認可されたということで10月より開始しました。この治療は毎日、アスナプレビル(プロテァーゼ阻害剤)、ダクラタスビル(NS5A)の2剤を飲むということと、2週間に一度血液検査をするだけです。すると1ヶ月でウイルスが消えました。

 本当に嬉しくて自分でも信じられない気持ちでした。もちろんこれで確定ではありませんが、これからまだ4月までは血液検査及び薬は続けなければいけません。その後また半年ほど経過観察がありそれでウイルスが消えていたら完全にOKということです。幸いにも今のところ副作用がまったく出てないので身体的にもとても楽です。